埼玉県は春日部市にある某スロゲーセンにて。


入口への螺旋階段を上がるその左の壁にはパチスロの年表とその歴史を彩った名機が鎮座している。





そして、1番端っこに古いパルサーが飾ってある。




ほーんあれが尚球社の0号機パルサーか。



と思っていたが資料にと撮った写真を見てみると下パネルには





パルサーXX 
とある。





んん〜?


尚球社のパチスロパルサーじゃないのか?


でも山佐でもない?










これはふたつのパルサーの狭間で激動に揺れる1980年代から1990年代をほんの少し覗く歴史群像シリーズである…






























時は1980年

尚球社(現岡崎産業)からリリースされたのがパチスロパルサー。



それまでのスロットは1960年代、アメリカのスロットを日本風アレンジしたオリンピアマシンがまずそれなりの人気を博したが衰退。

その後1970年代後半にジェミニというアップライト式のスロットが販売されるも、パチンコのシマに設置できず、喫茶店を改装しジェミニ専門店でしか打てないなど普及はしなかった。


0号機パルサーは初めてパチンコのシマに設置できるスロット、所謂パチスロの最初の形である。 


当時のゲーム性は定量制であり、吸い込み式で当たったら出っ放し、打ち止めというのが一般的だったようだ。


パルサーから2年後の1982年、保安通信協会が設立される。

通称保通協。

各都道府県の公安委員会から委託を受けて型式試験を行う機関。
翌々年の大幅な法改正への準備段階だろうか。







1984年
風俗営業取締法が風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律 大幅改正。







1985年
風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律 施行。

全国統一基準のパチスロはこの年から始まり、これが1号機となる。







そして、私がスロゲーセンにて見たのが1号機の

パルサーXX
(日活興業)


これまた販売は山佐ではなく、日活興業という会社。聞き憶えのない社名に泡沫の撤退したメーカーかと思いきや、現在の…















ネットでした。




つーかこの関係がよくわからないのだが…


別に山佐が出せばよくね…?



なぜか山佐の日電協加盟は遅く、この当時は開発、製造を担当していた。


このときの山佐は、東大を出たばかりの現日電協理事長で山佐の代表でもある佐野慎一氏がすでに社長として辣腕を振るっていたようだ。


一説によると、風俗営業の遊技機を岡山屈指の名家の御曹司が表立って製造、販売するのはちょっと…

恥ずかしい///


というところから尚球社、日活興業に販売を委託していたようだ。


山佐も後に日電協に加盟し、山佐ブランドの製品を販売してパチスロメーカーほ覇者へと邁進する。



日活興業は山佐傘下にしばらくいたものの、1989年に山佐を離れ独立。
NETに改称したのは96年である。







ということで0号機から見てきましたがパルサー、あとはユニバーサルの台が黎明期から活躍されてるようで。
佐野理事長は本当にレジェンドかつ、情報が少ないので非常に興味深い。
次回はもう少し調べてから書きます。