【プロローグ】
1953年くらい
ツバメ製作所




(゚)(゚)「連発式大人気ンゴ…」  


※富国遊技工業の機関銃式を取り入れた遊技機が大人気。
単発式が1分間に50~70個に対し、
機関銃式は1分間に130~150個打ち出せました。(前記事参照)






彡(>)(<)「そんなに連発式がええんか!連発で飛べばええんか!」   

※ツバメ製作所の竹内竹二郎氏は憂いていました。







彡(^)(^)「!」              










    



彡(^)(^)「もうハンドルなくしたろ!
モーター付けて1分間に200発飛ばしたろ!」     


※竹内氏が考案したのは「電動式パチンコ」でした。スイッチを入れればハンドルで玉を弾くことなく、玉はモーターの回転によって自動の打ち出される仕様です。






彡(^)(^)「これは絶対大ヒットや!勝った!第3部、完!」    

  








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【警察、キレる】

1954年初頭
東京都公安委員会



(´・ω・`)「ツバメ製作所…1分間に200個?は?ガチギレ」 



※ツバメ製作所の電動式パチンコは1954年に全国警察本部長会議において採択された

「単発式を除くパチンコ機は遊技客の射幸心を著しくそそる恐れがあり、遊技機として不適切であり、今後その抑制に努めること。」

に該当するということで全国各県警本部長に通達されてしまいました。
これが連発式崩壊の引き金となります。





(´・ω・`)「オメーラやりすぎなんだよ。めんどくせぇ。世論も味方につけて、全部潰してやんよ」 



※当時の新聞社説を紐解いてみますと

「パチンコも初期の時代にはご愛嬌程度であった、しかし今日ではご愛嬌の域を脱し、社会現象として放置する事はできない。新規出店の勢いが止まらず、早朝からやっている。またたく間に一日の労賃が消えていく。景品買いという悪習のためパチンコ屋が暴力団をのさばらせている。離婚事件裁判もパチンコが原因となっているものも多い。従ってパチンコは社会悪の温床である」

というように連発式のパチンコに関する風当たりは厳しいものになっていきます。






 


1954年くらい
東京都公安委員会

(´・ω・`)「1955年をもって連発式パチンコ禁止な」 


射幸性が高くなったパチンコを単に規制するというのではなく、警察当局も風営法で禁じられている"景品買い"を発生させる程に多くの出玉が可能な連発式を禁じて、暴力団への資金源を断ちたいという思惑も見え隠れしています。









【崩壊】


1955年くらい
パチンコ店


(゚)(゚)「単発式に戻した結果…   
   


















彡()()「客来ないああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
 

※多くのパチンコ店が1952年以前の単発式に戻り、スピード感を失ったパチンコからは客足が遠のいてしまいました。

それに合わせてパチンコ店の閉店も相次ぎ、連発式が販売された1953年にはピークの 43,452軒まで増えたパチンコ店は、


1956年には












9,365軒




と、激減してしまいました。






「今太閤」と持て囃された正村竹一氏もピーク時には7工場を運営していましたが、連発式禁止の煽りを受けて1工場を残し工場を閉鎖してしまう事になります。


 





【おわりに】
これは諸説あるものの、パチンコ店4万軒時代には日本人と在日朝鮮籍の方と経営者の比率はさほど変わらなかったと言われています。

 
この当時、朝鮮籍の方は職業選択の自由、さらには参政権も与えられなかったにもかかわらず、

税金だけは徴収されるという状況で転業が困難であり、

止むを得ず続けた結果が三世、四世世代まできて現在大半のパチンコ店経営者の大半が在日朝鮮籍の方だということに繋がっているという説もあります。






その後、1分間100発までという制限付きの連発式解禁まで13年待たなくてはなりませんでした。








次回に続…くかもしれません…
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