【プロローグ】
1957年くらい
パチンコ店



(゚)(゚)「パチンコ店はかつて4万軒を超えてたンゴね…」   

※1953年頃、パチンコ店はピークの約43000軒でした。





















彡(^)(^)「1957年現在、
8487軒www
業界オワタwww
クソワロタンバリンシャンシャンカスタネットタンタンプップクプーシャンシャンブーチリリリリリンwwwwwwww  
            
※連発式禁止令から2年、店舗数はピーク時の20%以下まで落ち込みます。






彡(^)(^)「ていうかぁ」













彡()()「ウチも潰れりゅうう ああああああああ!!!!!!!!!!!」(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
 

まさに暗黒時代なのです。








      
      








【躍動の西陣】

1956年くらい
西陣

(´・ω・`)「まずうちさぁ…屋上…あんだけど…焼いてかない?」




(´・ω・`) 「」















(´・ω・`)「まずうちさぁ…盤面中央の賞球ケース外さない?」





※正村ゲージ開発以降中央の赤い円形部は払い出す賞球を貯める賞球ケースとして使われていました。(上図は正村ゲージオール15)



(´・ω・`)「賞球ケース外して玉がもっと躍動感にあふれる感じの仕組みにしない?」








ジンミット(西陣)

パチンコ史上初めて役物の概念を導入。賞球ケースの代わりに玉の入賞に変化を及ぼすための構造物である役物を設置。
センター役物という名称は現在に至るまで使われていますが今のパチンコにおいては大部分を液晶が占めています。


※ちなみにジンミットという名前は
神武景気のジン
受け止めるでミットらしいです。
(わけわかんねぇな…)


※役物第一号を考え出した西陣初代会長清水氏は野獣先輩ならぬ役物先輩として、みなさん、崇めていただきたいのです。













【そして、平和】

1957年くらい
平和

(*^O^*)「上とほぼ同じことを思いついたんだ」


(*^O^*)「…」




(*^O^*)「ウチならもっと賑やかに出来るんだ!」

      

コミックゲート(平和)
仕組みとして西陣と同じであるが、入賞した玉が役物に仕込まれた風車を回転させる仕組みになっており、見た目に楽しいという視覚的効果を狙っていた機種。この事から「コミックゲート」も役物に動きを加えるという新たな発想を持った可動式役物第1号ということなります。

※賑やかさに定評はこの頃からですかねぇ…(呆れ)





こういった西陣、平和の役物機は大好評を博し、遊技客が戻り始め、同じような機械を開発するメーカーが増えます。


役物という光明が暗黒時代を抜け出すきっかけになりました。





1958年、パチンコ店はついに増加に転じます。





さぁ反撃の時だ。

次回
「奇跡の役物」

お楽しみに!

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【プロローグ】
1953年くらい
ツバメ製作所




(゚)(゚)「連発式大人気ンゴ…」  


※富国遊技工業の機関銃式を取り入れた遊技機が大人気。
単発式が1分間に50~70個に対し、
機関銃式は1分間に130~150個打ち出せました。(前記事参照)






彡(>)(<)「そんなに連発式がええんか!連発で飛べばええんか!」   

※ツバメ製作所の竹内竹二郎氏は憂いていました。







彡(^)(^)「!」              










    



彡(^)(^)「もうハンドルなくしたろ!
モーター付けて1分間に200発飛ばしたろ!」     


※竹内氏が考案したのは「電動式パチンコ」でした。スイッチを入れればハンドルで玉を弾くことなく、玉はモーターの回転によって自動の打ち出される仕様です。






彡(^)(^)「これは絶対大ヒットや!勝った!第3部、完!」    

  








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【警察、キレる】

1954年初頭
東京都公安委員会



(´・ω・`)「ツバメ製作所…1分間に200個?は?ガチギレ」 



※ツバメ製作所の電動式パチンコは1954年に全国警察本部長会議において採択された

「単発式を除くパチンコ機は遊技客の射幸心を著しくそそる恐れがあり、遊技機として不適切であり、今後その抑制に努めること。」

に該当するということで全国各県警本部長に通達されてしまいました。
これが連発式崩壊の引き金となります。





(´・ω・`)「オメーラやりすぎなんだよ。めんどくせぇ。世論も味方につけて、全部潰してやんよ」 



※当時の新聞社説を紐解いてみますと

「パチンコも初期の時代にはご愛嬌程度であった、しかし今日ではご愛嬌の域を脱し、社会現象として放置する事はできない。新規出店の勢いが止まらず、早朝からやっている。またたく間に一日の労賃が消えていく。景品買いという悪習のためパチンコ屋が暴力団をのさばらせている。離婚事件裁判もパチンコが原因となっているものも多い。従ってパチンコは社会悪の温床である」

というように連発式のパチンコに関する風当たりは厳しいものになっていきます。






 


1954年くらい
東京都公安委員会

(´・ω・`)「1955年をもって連発式パチンコ禁止な」 


射幸性が高くなったパチンコを単に規制するというのではなく、警察当局も風営法で禁じられている"景品買い"を発生させる程に多くの出玉が可能な連発式を禁じて、暴力団への資金源を断ちたいという思惑も見え隠れしています。









【崩壊】


1955年くらい
パチンコ店


(゚)(゚)「単発式に戻した結果…   
   


















彡()()「客来ないああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
 

※多くのパチンコ店が1952年以前の単発式に戻り、スピード感を失ったパチンコからは客足が遠のいてしまいました。

それに合わせてパチンコ店の閉店も相次ぎ、連発式が販売された1953年にはピークの 43,452軒まで増えたパチンコ店は、


1956年には












9,365軒




と、激減してしまいました。






「今太閤」と持て囃された正村竹一氏もピーク時には7工場を運営していましたが、連発式禁止の煽りを受けて1工場を残し工場を閉鎖してしまう事になります。


 





【おわりに】
これは諸説あるものの、パチンコ店4万軒時代には日本人と在日朝鮮籍の方と経営者の比率はさほど変わらなかったと言われています。

 
この当時、朝鮮籍の方は職業選択の自由、さらには参政権も与えられなかったにもかかわらず、

税金だけは徴収されるという状況で転業が困難であり、

止むを得ず続けた結果が三世、四世世代まできて現在大半のパチンコ店経営者の大半が在日朝鮮籍の方だということに繋がっているという説もあります。






その後、1分間100発までという制限付きの連発式解禁まで13年待たなくてはなりませんでした。








次回に続…くかもしれません…
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【プロローグ】

1946年くらい
パチンコ屋





(゚)(゚)「パチンコ打ちにきたンゴ…」 

※当時のパチンコは通称「べた釘の小物」と呼ばれていました





(゚)(゚)「相変わらず子供も打ってるンゴね…」 

※小物という名前が現すとおり、賞球は4、3、2個と少なく子供の遊技でした。







彡(^)(^)「今日もタバコもらうで!」

※大人が打つ場合は景品のタバコが目当てでした。




彡(-)(-)「とはいえ小物はつまんないンゴね…ウゥ…」

べた釘つまり、すべて均一に420本の釘が刺された状態なので技術介入性、射幸性はほとんどなかったようです。 





小物(正村商会)
戦後パチンコ第一号。上記のとおり、射幸性もなく、均等な釘配列のため玉の動きによる遊技性も幅が狭かったと言われています。











【連チャン整理機開発】

1946年くらい
正村商会




彡(^)(^)「連続入賞して2個目がノーカウントなるのやめーや。連続で入賞しても有効にする装置を開発したろ!つーことで伊藤頼むわ!」




(´-ω- `)「ウス」



※正村氏が正村ゲージを開発する少し前。当時は連続で入賞口に入賞した場合は最初の玉だけが有効というシステムだったため、「連チャン整理機」なる連続した玉を判別し、有効にする装置を伊藤寿夫氏が開発しました。
(この伊藤氏が正村氏の没後に独立してパチンコメーカーまさむら遊機を設立)



宝くじ(正村商会)

パチンコの賞球システムにメスを入れた記念すべき一台。
これと正村ゲージのどちらが先開発されてたかは諸説あるですが、社内にいた通りすがりの爺さんに聞いたところ、
「これを元に特定の入賞口を狙える天釘とかの釘配列にしたから後じゃない?」
とのこと。いやこの辺の話はファンタジーをおびておりますね。











【オール物登場】
1948年くらい
正村商会


(゚)(゚) 「なんか新しいゲーム性ないんかな…」
 




(゚)(<) 「…」 






彡(^)(^)「つーことで伊藤頼むわ!」





(´・ω・`)「は?ガチギレ








オール10正村ゲージ(正村商会)

ガチギレした伊藤氏が開発したのが「オール物」。どこの入賞口に入賞しても同じ賞球が払い出される仕組みです。このオール10は10個の払い出しと 村ゲージのスリリングな玉の動きが組み合わさり全国的な大ヒットととなります。
後発のオール15、さらにオール20まで開発されることになり一気に射幸性を増し、パチンコは「大人の遊技」へ変貌します。











【連発式登場】

1950年くらい
豊国遊機製作所

(*^O^*)「ハンドルに革命なんだ!」

※当時のハンドルは左手で一発ずつ込めていました。玉をある一定数、一度に込めてハンドルを弾くだけで玉が発射台に自動的に装填されるようにした「デンデン虫」 が菊山徳治氏により1951年に開発されます。







(*^O^*)「もっと遊び易いハンドルにするんだ!」


更に、菊山氏は翌年に機関銃方式を開発して上皿に玉を入れておけば自動で玉が装填される方式を開発しします。
更に賞球も自動的に上皿に集まり全く左手を使う事なく遊技が可能になった循環式を開発。これらのパチンコ台は総じて「連発式」と呼ばれています。






連発式オール20(富国遊機製作所)

全入賞口が20個払い出しという射幸性と連発式の最大利点である発射スピードの向上が相成り、一躍ブームの火付け役となります。
大分、今のパチンコに近づいて来たような…?
単発式の玉の発射スピードが1分間に50発~70発であったのに対して、倍以上の150発もの玉が発射可能でした(現在は100個)。 
そこに払い出し20個なので…(ゴクリ)











【黄金時代到来】


※小物でタバコ狙っていた時代とは射幸性、遊技性ともに段違いに上がったことから

未曾有の
第一次パチンコ
黄金時代

が到来します。







1953年当時の全国パチンコ店軒数はなんと驚愕の






















43452軒!!
※2015年現在  約10900軒




1953〜1954年は諸説ありますが遊技機メーカーも600社を超えていたとのこと。


正村竹一氏は莫大な利益を上げ「今太閤」と呼ばれるまでに…




パチンコ業界がこの黄金時代を謳歌していたのですが、





1955年、パチンコ業界は壊滅的大打撃を受けることとなります。










次回「黄金時代の終焉」

お楽しみに! 


本当に需要あるのかコレ…
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