フィーバー誕生には、三共の大きな失敗が元になっています。



ー1977年
三共

 


彡(^)(^)「スロットの概念を取り入れた画期的なパチンコが出来たで!」






彡(^)(^)「リールを止めて図柄を揃えればチューリップ開放!」





彡(^)(^)「新しい!新しい!これは大ヒット間違いなし!」


~ホール導入後~





(´・ω・`)「リールの図柄を揃えたら全チューリップ開放か」




(´・ω・`)「ん~」




(´^ω^`)「ブフォwwwこれ慣れてきたら目押しできるし、超勝てるじゃん」 




(●▲●)「なんだこれ!攻略法でこの台ずっと店の赤字だわ!三共のクソめ!」







彡()()「ほげえええええ」




ブレンド赤坂(三共)

なんだよこの名前…登場時期も怪しいのですが、 スロットにヒントを得て中央役物にドラムを用い、入賞するとドラムが回り図柄をストップボタンで押して揃えるというものでした。

発想としてはそれまでのパチンコにはない斬新なものでしたが、客の目がドラムの回転に慣れると目押しされてしまい、店が大赤字を被り、売れ行きは悪かったと言われています。








 
※なんでも良いので図柄が揃えば大当たりとなります。上皿に各リールのストップボタンがあったようです。













【フィーバー誕生秘話】
ー1979年くらい
三共






彡()()ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙」





彡()() 「ブレンドのせいでドラムの在庫クソ余ったンゴ …   


         




彡(゚)(゚) 「そこの営業マンよ。なんかアイディアないんか?」







(*^◯^*)「こないだホールに行ったんだ!」



 
彡(゚)(゚) 「そら営業やしな…」


 

(*^◯^*)「そこで老害に言われたんだ!」





彡(゚)(゚) 「店長と呼びなさいよ」







(*^◯^*)「『昔の台は良くチューリップが壊れて出玉出っ放しになって店もそれを容認したからそれはそれで楽しかった』なんて話だったんだ。老害の話はつまんないんだ!」


 

彡(゚)(゚) 「!?」

 




(*^◯^*)「!?」




彡(^)(^)

※この話を聞いた事が基になり、意図的に玉が出続ける機種を作ろうというコンセプトが出来たそうです。




フィーバー(三共)
1980年発売
確率などは不明。
いわゆるフィーバー機記念すべき第1号となります。アタッカーの概念がようやく登場です。
大当たり時のラウンド数は「永遠」。
アタッカー内のVゾーンを1個でも通過する限り永遠に続きます。(は?)

店員さんに終了と言われると終了となります。(出玉制限の概念がないので絶対定量制)


インベーダーゲームブームも一過性のものと過ぎ去りつつある時期で


こういうスペックが受け入れられるかどうか未知数だったわけですが、新潟のとあるホールが一気に120台導入して人気を得た事から爆発的にヒットしました。



当時はドル箱が用意されていませんでしたので、大当りするとバケツに玉を移していたそうです。





※諸説あるもののフィーバーというのは当時ヒットしていた




映画「サタデーナイトフィーバー」から拝借したという説が有力です。













フィーバーの爆発的ヒットにより、客足を取り戻したパチンコ。


この当時はあまりの射幸性にショック死する人もいて社会問題に。


規制と緩和の繰り返しはいつの世も同じ。



そして平和は今でも続く1ジャンルを開発する。




次回
「史上初の羽根モノ、ゼロタイガー誕生」

お楽しみに。


        魔界村へ    

1978年くらい

この年、日本中を席巻する、とあるゲームが誕生しました。





彡(^)(^)「このゲーム楽しすぎwww
クソワロタンバリンシャンシャンカスタネットタンタンプップクプーシャンシャンブーチリリリリリンwwwwwwww  




             
※連発式解禁からジワジワ店舗数を増やし、ようやく1万軒を超えて復活の兆しを見せていたパチンコ業界。

しかし、このゲームの登場により、またしても連発式禁止以来の危機的状況に陥ります。


















スペースインベーダー


総じてインベーダーゲーム。

タイトーより発売され多くのゲームセンター、果ては喫茶店にまで設置され大ブームとなります。




当時若者達を中心に人気を呼び、喫茶店の中には24時間営業を行う所も。




結果的にパチンコで遊んでいた層までインベーダーゲームにごっそり奪い取られパチンコ店は閑散とし、高齢者が目立つようになりました。







【ゲーム性の完成度】

チューリップの開閉だけで楽しむパチンコに対し、

多くの敵を打ち落とすゲーム性に加えて刺激的な効果音やTV画面の中で繰り広げられるインベーダーゲームは戦争を知らない世代に取っては刺激的であったと言われます。






【遊技料金】

1978年から貸玉の上限が3円から4円以下になり、遊技代が値上がりしました。
これにより、打ち出した玉が1個も入賞口に入らない場合は15秒で消費してしまいます。

インベーダーゲームは100円で遥かに長く遊べるため、人が流れるの致し方なしといったところでしょうか。







店舗推移はインベーダーゲームの影響を受けて約1000軒減り、1万軒を割る事態になります。









彡()()「潰れりゅうう ああああああああ!!!!!!!!!!!」(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
 

またしても暗黒時代なのです。









瞬く間に窮地に追い込まれたパチンコ業界。

1980年冷えきった業界に救世主現る。

次回
「フィーバー誕生」

お楽しみに!
      


        魔界村へ    

【プロローグ】
1959年くらい
大阪


(*^◯^*)「この部品を見て欲しいんだ!」






彡(゚)(゚) 「なんやパチンコ部品の押し売りかいな。去ね去ね。」







(*^◯^*)「いいから見るんだ!」








彡(゚)(゚)「……」 




 




彡(^)(^) 「なんやこれ!ここに玉が入るとこれが開いて、また玉入ったら閉じる…クッソ楽しい役物やんけ!」




(*^◯^*)「大発明なんだ!横浜にもこんな選手がいるんだ!」





彡(゚)(゚)「……」 





彡(^)(^)





※1960年、役物の登場でにわかに客が戻りつつあったパチンコに新たな起爆剤が登場します。



「奇跡の役物」とまで呼ばれるチューリップです。





※大阪の部品メーカーが発案して、成田製作所が特許を出願したものだそうです。



今の電動チューリップ(電チュー)と違い、

玉が入る

チューリップが開く

玉が入る

チューリップが閉じる


というアナログなものでした。



1966年には役物等の機械基準が緩和されます。


1個の入賞で払い出しの上限が15個で、一回の入賞でもう一度入賞が狙えるこの役物は瞬く間に人々を虜にします。



最盛期でチューリップは500万個も売れたというので凄まじいですね…











【連発式、解禁!】
※手打単発式は遊技者の技量に相当差が出るものでした



初心者の場合

(*^◯^*)(なかなかスムーズに打ち出せないんだ!)

(*^◯^*)(1分間に50発くらいが限界なんだ!)




上級者の場合


彡(゚)(゚)(…………)


彡(゚)(゚)(ふむ1分間だと130発くらいやろか)




とこのように倍以上の差が生じていました。

1969(昭和44)年、14年の時を経て警察庁により遊技機の新要件が発表され連発式が解禁されました。

1分間に打ち出せる玉の上限が100発になり(現在も同じ)打ち手の遊技レベルの差がほぼなくなります。


これは上級者にとっては技術に制限がかけられ、下手な人にとっては単純に打ち出し個数が増えるので遊技者の裾野を広げたことになりました。











【空前のチューリップブーム】

1970年くらい
群馬県 平和

彡(゚)(゚) 「チューリップを複数個付けるメーカーが増えたンゴね…」 




彡(゚)(゚)「安易にこの3個以上チューリップを付けるブームに乗ってもええものか…?」 







彡(゚)(゚)「……」 








彡(^)(^)





大三元(平和)
※写真は大三元の後継機

他がチューリップが3個なら、平和は14個付ければいいじゃない。
この大三元、麻雀よろしく14個のチューリップを配し、電気を用いずに役物を連動させていました。

南、東の入賞口に入ればチューリップ10個開放。

放銃と書かれたチューリップに入賞すると全て閉じる仕組みなので、

いかに閉じないようにチューリップを狙い出玉を稼ぐか

ハラハラドキドキのゲーム性…

まさに現在のオリンピアのパチスロマキバオーのような戦略性がこのころから存在した可能性が微レ存です。








なんとなーく、勢いを取り戻しつつあったパチンコ業界。
しかし、またしても未曾有の危機を迎える。

次回
「最強の侵略者」

お楽しみに!

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