魔界村へ






【プロローグ】

1946年くらい
パチンコ屋





(゚)(゚)「パチンコ打ちにきたンゴ…」 

※当時のパチンコは通称「べた釘の小物」と呼ばれていました





(゚)(゚)「相変わらず子供も打ってるンゴね…」 

※小物という名前が現すとおり、賞球は4、3、2個と少なく子供の遊技でした。







彡(^)(^)「今日もタバコもらうで!」

※大人が打つ場合は景品のタバコが目当てでした。




彡(-)(-)「とはいえ小物はつまんないンゴね…ウゥ…」

べた釘つまり、すべて均一に420本の釘が刺された状態なので技術介入性、射幸性はほとんどなかったようです。 





小物(正村商会)
戦後パチンコ第一号。上記のとおり、射幸性もなく、均等な釘配列のため玉の動きによる遊技性も幅が狭かったと言われています。











【連チャン整理機開発】

1946年くらい
正村商会




彡(^)(^)「連続入賞して2個目がノーカウントなるのやめーや。連続で入賞しても有効にする装置を開発したろ!つーことで伊藤頼むわ!」




(´-ω- `)「ウス」



※正村氏が正村ゲージを開発する少し前。当時は連続で入賞口に入賞した場合は最初の玉だけが有効というシステムだったため、「連チャン整理機」なる連続した玉を判別し、有効にする装置を伊藤寿夫氏が開発しました。
(この伊藤氏が正村氏の没後に独立してパチンコメーカーまさむら遊機を設立)



宝くじ(正村商会)

パチンコの賞球システムにメスを入れた記念すべき一台。
これと正村ゲージのどちらが先開発されてたかは諸説あるですが、社内にいた通りすがりの爺さんに聞いたところ、
「これを元に特定の入賞口を狙える天釘とかの釘配列にしたから後じゃない?」
とのこと。いやこの辺の話はファンタジーをおびておりますね。











【オール物登場】
1948年くらい
正村商会


(゚)(゚) 「なんか新しいゲーム性ないんかな…」
 




(゚)(<) 「…」 






彡(^)(^)「つーことで伊藤頼むわ!」





(´・ω・`)「は?ガチギレ








オール10正村ゲージ(正村商会)

ガチギレした伊藤氏が開発したのが「オール物」。どこの入賞口に入賞しても同じ賞球が払い出される仕組みです。このオール10は10個の払い出しと 村ゲージのスリリングな玉の動きが組み合わさり全国的な大ヒットととなります。
後発のオール15、さらにオール20まで開発されることになり一気に射幸性を増し、パチンコは「大人の遊技」へ変貌します。











【連発式登場】

1950年くらい
豊国遊機製作所

(*^O^*)「ハンドルに革命なんだ!」

※当時のハンドルは左手で一発ずつ込めていました。玉をある一定数、一度に込めてハンドルを弾くだけで玉が発射台に自動的に装填されるようにした「デンデン虫」 が菊山徳治氏により1951年に開発されます。







(*^O^*)「もっと遊び易いハンドルにするんだ!」


更に、菊山氏は翌年に機関銃方式を開発して上皿に玉を入れておけば自動で玉が装填される方式を開発しします。
更に賞球も自動的に上皿に集まり全く左手を使う事なく遊技が可能になった循環式を開発。これらのパチンコ台は総じて「連発式」と呼ばれています。






連発式オール20(富国遊機製作所)

全入賞口が20個払い出しという射幸性と連発式の最大利点である発射スピードの向上が相成り、一躍ブームの火付け役となります。
大分、今のパチンコに近づいて来たような…?
単発式の玉の発射スピードが1分間に50発~70発であったのに対して、倍以上の150発もの玉が発射可能でした(現在は100個)。 
そこに払い出し20個なので…(ゴクリ)











【黄金時代到来】


※小物でタバコ狙っていた時代とは射幸性、遊技性ともに段違いに上がったことから

未曾有の
第一次パチンコ
黄金時代

が到来します。







1953年当時の全国パチンコ店軒数はなんと驚愕の






















43452軒!!
※2015年現在  約10900軒




1953〜1954年は諸説ありますが遊技機メーカーも600社を超えていたとのこと。


正村竹一氏は莫大な利益を上げ「今太閤」と呼ばれるまでに…




パチンコ業界がこの黄金時代を謳歌していたのですが、





1955年、パチンコ業界は壊滅的大打撃を受けることとなります。










次回「黄金時代の終焉」

お楽しみに! 


本当に需要あるのかコレ…
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【プロローグ】

ー1925年くらい

大阪



彡(゚)(゚)「これがイギリスで流行りのバガテルやね…」



※コリントゲーム。別名バガテル。
見て分かる通り、スマートボールのような感じです






彡(^)(^)「日本風に改良したろ!」ガチャガチャ







彡(^)(^)「よっしゃ!できたで!

※改良されたバガテルはガチャンコまたはパチンと呼ばれていました。











彡(^)(^)「ガチャンコ楽しんごwwwドドスコスコ」1銭銅貨ポイー

※バガテル自体もメダル投入→盤面に玉発射という仕様。日本製のガチャンコは1銭銅貨を投入する仕様だったようです。
















(´・ω・`)「動くな!警察だ。」







彡(゚)(゚)「ファッ!?







(´・ω・`)「天皇陛下のお顔が刻印されてるお金を賭博まがいの遊技機で使用するとはどういうことだ!」手錠ガチャ



 

彡()()「こ、これはその…ウゥ…」









彡()()「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )

※これをきっかけにお金を使わず、メダルを投入する「メダル式」 が主流となりました。

注:以後出てくる彡(゚)(゚)と上記の彡(゚)(゚)は一切関連はございません。あらかじめご了承ください。














【本編】 


時は流れ……

ー1937年くらい

名古屋





( ´・ω・`)「ワシは藤井文一。」



(´^ω^` ) メダル式に変わる新たな手法、鋼球式を考えたぜ。」


※メダルではなく玉を入れて遊ぶ方式。
は?と思うかもしれないが、あくまで規格ではなく方式の話。
これが現在まで続くパチンコの基本方式となりました。





(´・ω・`)「鋼球式の新製品のためにベニヤ板と盤面ガラスが必要だな」








(´^ω^`)「ブフォwwwここ名古屋にはベニヤが腐る程あるよーんwww

※当時名古屋はベニヤ板の主産地だった模様。








(´・ω・`)「あとは盤面のガラスだが…新しく専用に切ってもらう特注品は高すぎィ!」









(´・ω・`)「ちょうどいい感じの既製品が欲しい…あそこにあるガラス屋に聞いてみるか。ごめんくさい。














(゚)(゚)「ウス」











※なんということでしょう。








藤井氏がたまたま訪ねたこのガラス商のオヤジが、




後に「近代パチンコの父」と呼ばれることとなる正村竹一氏でした。





正村氏の協力でなんとか既製品の温室用ガラスが代用できることがわかり、鋼球式は実用化されます。









彡(^)(^)「鋼球式か…おもろいやんけ!俺もガラス商辞めて、パチンコ屋開店したろ!


 



数年後……















彡()()「」

※正村氏は熱田大空襲で右半身の腕から足先にかけて30数発の弾片が突き刺さり、4-5発が腕を貫通する大怪我をするも生還したそうです










※第二次大戦開戦で生まれたてのパチンコ産業は壊滅。






そして、終戦…








(゚)(゚)「ここ名古屋の都心も空襲で焼け野原に…」





(゚)(゚)「なぜか奇跡的にワイのパチンコ屋だけ残ったンゴ…」





彡(^)(^)「よっしゃ!復興や!再開してみんなに娯楽を提供や!」




※いち早く再開した正村氏のパチンコ店は大流行し、台が足りなくなります。



これを機に遊技機の製造に乗り出しました




そして生まれたのが

天釘
命釘
ハカマ

と現在のパチンコの基礎となる


正村ゲージ


だったのです。








彡(^)(^)「正村ゲージ爆発的大ヒットしたンゴwww」ガッポガッポ    





※正村氏の店の前は毎朝正村ゲージを買い求める客が300mの行列を作ったそうです。月産では2万台を超えていたようです。












(●▲●)「正村ゲージめっちゃ売れとるやん!真似したろ!」



※正村ゲージを購入し、釘を全部抜き、ベースを真似し完全に模倣するものも出てきました。

正村ゲージ 800に対して、模倣品はè0と半額で売り出されます。





(●▲●)「全然売れないやんけ!!



※模倣品の倍の値段がするのに売れまくる。

正村ゲージは傾斜、釘の打ち込む角度、釘を打ち込む深さなど独特な調整がされており、それが絶妙なスランプを生んでいました。

模倣品とは比べものにならないほど玉が盤面内で賑やかに踊ったそうです。







彡(^)(^)「特許申請?儲かってるし、忙しくてできんニキーwww」


※正村ゲージは特許を取りませんでした。

理由として、

「当時は特許料が要らないほど儲かっていた」

「忙しすぎて書類作成が煩雑だった」

という説がありますが



(^)(^)「みんなで仲良く使うがええがや」


と、正村氏自身が独占をせず、良い物は真似るべきという考えだったというのが定説になっています。
つーか取ってなかったからここまでパチンコという娯楽が発展したという人もいます。








【おわりに】
パチンコメーカーまさむら遊機(現オッケー.)は正村氏が立ち上げた正村商会の工場長が独立したメーカーでした。

京楽産業の傘下に入ったあと、2011年に商号変更。京楽産業とフィールズの悪の2大コンビのセカンドブランドとなってしまいました。


そして本筋である正村商会は2010年に破産。



近代パチンコの父は正村ゲージにその名を残すのみとなりました。


残された親族はあのとき特許を取っておけば……という気持ちだったのでしょうか?



一応、日工組加盟メーカーのパチンコに関する特許はパテントプールされており

なんとなーく


(^)(^)「みんなで仲良く使うがええがや」


の精神は受け継がれてない?なくない?

という感覚を受けなくもないのです。

今後、ベースに関して大幅にゲージが変わる可能性があります。


そのときでもふと思い出して欲しいのです。

正村竹一氏というガラス商のオヤジを……       
                                                     (了)





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