1978年くらい

この年、日本中を席巻する、とあるゲームが誕生しました。





彡(^)(^)「このゲーム楽しすぎwww
クソワロタンバリンシャンシャンカスタネットタンタンプップクプーシャンシャンブーチリリリリリンwwwwwwww  




             
※連発式解禁からジワジワ店舗数を増やし、ようやく1万軒を超えて復活の兆しを見せていたパチンコ業界。

しかし、このゲームの登場により、またしても連発式禁止以来の危機的状況に陥ります。


















スペースインベーダー


総じてインベーダーゲーム。

タイトーより発売され多くのゲームセンター、果ては喫茶店にまで設置され大ブームとなります。




当時若者達を中心に人気を呼び、喫茶店の中には24時間営業を行う所も。




結果的にパチンコで遊んでいた層までインベーダーゲームにごっそり奪い取られパチンコ店は閑散とし、高齢者が目立つようになりました。







【ゲーム性の完成度】

チューリップの開閉だけで楽しむパチンコに対し、

多くの敵を打ち落とすゲーム性に加えて刺激的な効果音やTV画面の中で繰り広げられるインベーダーゲームは戦争を知らない世代に取っては刺激的であったと言われます。






【遊技料金】

1978年から貸玉の上限が3円から4円以下になり、遊技代が値上がりしました。
これにより、打ち出した玉が1個も入賞口に入らない場合は15秒で消費してしまいます。

インベーダーゲームは100円で遥かに長く遊べるため、人が流れるの致し方なしといったところでしょうか。







店舗推移はインベーダーゲームの影響を受けて約1000軒減り、1万軒を割る事態になります。









彡()()「潰れりゅうう ああああああああ!!!!!!!!!!!」(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
 

またしても暗黒時代なのです。









瞬く間に窮地に追い込まれたパチンコ業界。

1980年冷えきった業界に救世主現る。

次回
「フィーバー誕生」

お楽しみに!
      


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【プロローグ】
1959年くらい
大阪


(*^◯^*)「この部品を見て欲しいんだ!」






彡(゚)(゚) 「なんやパチンコ部品の押し売りかいな。去ね去ね。」







(*^◯^*)「いいから見るんだ!」








彡(゚)(゚)「……」 




 




彡(^)(^) 「なんやこれ!ここに玉が入るとこれが開いて、また玉入ったら閉じる…クッソ楽しい役物やんけ!」




(*^◯^*)「大発明なんだ!横浜にもこんな選手がいるんだ!」





彡(゚)(゚)「……」 





彡(^)(^)





※1960年、役物の登場でにわかに客が戻りつつあったパチンコに新たな起爆剤が登場します。



「奇跡の役物」とまで呼ばれるチューリップです。





※大阪の部品メーカーが発案して、成田製作所が特許を出願したものだそうです。



今の電動チューリップ(電チュー)と違い、

玉が入る

チューリップが開く

玉が入る

チューリップが閉じる


というアナログなものでした。



1966年には役物等の機械基準が緩和されます。


1個の入賞で払い出しの上限が15個で、一回の入賞でもう一度入賞が狙えるこの役物は瞬く間に人々を虜にします。



最盛期でチューリップは500万個も売れたというので凄まじいですね…











【連発式、解禁!】
※手打単発式は遊技者の技量に相当差が出るものでした



初心者の場合

(*^◯^*)(なかなかスムーズに打ち出せないんだ!)

(*^◯^*)(1分間に50発くらいが限界なんだ!)




上級者の場合


彡(゚)(゚)(…………)


彡(゚)(゚)(ふむ1分間だと130発くらいやろか)




とこのように倍以上の差が生じていました。

1969(昭和44)年、14年の時を経て警察庁により遊技機の新要件が発表され連発式が解禁されました。

1分間に打ち出せる玉の上限が100発になり(現在も同じ)打ち手の遊技レベルの差がほぼなくなります。


これは上級者にとっては技術に制限がかけられ、下手な人にとっては単純に打ち出し個数が増えるので遊技者の裾野を広げたことになりました。











【空前のチューリップブーム】

1970年くらい
群馬県 平和

彡(゚)(゚) 「チューリップを複数個付けるメーカーが増えたンゴね…」 




彡(゚)(゚)「安易にこの3個以上チューリップを付けるブームに乗ってもええものか…?」 







彡(゚)(゚)「……」 








彡(^)(^)





大三元(平和)
※写真は大三元の後継機

他がチューリップが3個なら、平和は14個付ければいいじゃない。
この大三元、麻雀よろしく14個のチューリップを配し、電気を用いずに役物を連動させていました。

南、東の入賞口に入ればチューリップ10個開放。

放銃と書かれたチューリップに入賞すると全て閉じる仕組みなので、

いかに閉じないようにチューリップを狙い出玉を稼ぐか

ハラハラドキドキのゲーム性…

まさに現在のオリンピアのパチスロマキバオーのような戦略性がこのころから存在した可能性が微レ存です。








なんとなーく、勢いを取り戻しつつあったパチンコ業界。
しかし、またしても未曾有の危機を迎える。

次回
「最強の侵略者」

お楽しみに!

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【プロローグ】
1957年くらい
パチンコ店



(゚)(゚)「パチンコ店はかつて4万軒を超えてたンゴね…」   

※1953年頃、パチンコ店はピークの約43000軒でした。





















彡(^)(^)「1957年現在、
8487軒www
業界オワタwww
クソワロタンバリンシャンシャンカスタネットタンタンプップクプーシャンシャンブーチリリリリリンwwwwwwww  
            
※連発式禁止令から2年、店舗数はピーク時の20%以下まで落ち込みます。






彡(^)(^)「ていうかぁ」













彡()()「ウチも潰れりゅうう ああああああああ!!!!!!!!!!!」(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )
 

まさに暗黒時代なのです。








      
      








【躍動の西陣】

1956年くらい
西陣

(´・ω・`)「まずうちさぁ…屋上…あんだけど…焼いてかない?」




(´・ω・`) 「」















(´・ω・`)「まずうちさぁ…盤面中央の賞球ケース外さない?」





※正村ゲージ開発以降中央の赤い円形部は払い出す賞球を貯める賞球ケースとして使われていました。(上図は正村ゲージオール15)



(´・ω・`)「賞球ケース外して玉がもっと躍動感にあふれる感じの仕組みにしない?」








ジンミット(西陣)

パチンコ史上初めて役物の概念を導入。賞球ケースの代わりに玉の入賞に変化を及ぼすための構造物である役物を設置。
センター役物という名称は現在に至るまで使われていますが今のパチンコにおいては大部分を液晶が占めています。


※ちなみにジンミットという名前は
神武景気のジン
受け止めるでミットらしいです。
(わけわかんねぇな…)


※役物第一号を考え出した西陣初代会長清水氏は野獣先輩ならぬ役物先輩として、みなさん、崇めていただきたいのです。













【そして、平和】

1957年くらい
平和

(*^O^*)「上とほぼ同じことを思いついたんだ」


(*^O^*)「…」




(*^O^*)「ウチならもっと賑やかに出来るんだ!」

      

コミックゲート(平和)
仕組みとして西陣と同じであるが、入賞した玉が役物に仕込まれた風車を回転させる仕組みになっており、見た目に楽しいという視覚的効果を狙っていた機種。この事から「コミックゲート」も役物に動きを加えるという新たな発想を持った可動式役物第1号ということなります。

※賑やかさに定評はこの頃からですかねぇ…(呆れ)





こういった西陣、平和の役物機は大好評を博し、遊技客が戻り始め、同じような機械を開発するメーカーが増えます。


役物という光明が暗黒時代を抜け出すきっかけになりました。





1958年、パチンコ店はついに増加に転じます。





さぁ反撃の時だ。

次回
「奇跡の役物」

お楽しみに!

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